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イタリアが好きだ。イタリアに行きたい。そんな想いがふくらんで、いつしかそこでの暮らしを夢みるようになっていった……。待っていたものはなんだったのか。当店スタッフ山崎基晋は、京都での生活をリセットして、憧れの国イタリアへ飛んだ……。
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第1回 イタリアに行こう |
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マルペンサ空港
2001年12月。頬に突き刺さるように冷たい風が吹く冬のミラノ。僕は日本への帰国便に搭乗するために、マルペンサ空港行きのシャトルバスに乗り込んだ。アウトストラーダからは、スイスとの国境に聳え立つ雪化粧のアルプス山脈が、深い霧のずうっと向こう側で歪み滲んで見えていた。
ミラノ・チェントラーレ(ミラノ中央)駅発のシャトルバスは、神経質に車線の移動と急加速を繰り返していた。慣れ親しんだイタリア式運転。体が左右に激しく揺れて、そのたびにぼんやりとした思考は中断され、現実の時間の前に引き戻される。1時間後、バスはマルペンサ空港ターミナル1に到着した。
1998年に完成した近代的なイタリア建築のマルペンサ空港ターミナル1は、アイボリーや薄いグレーを基調色に、アクセントの深いグリーンの縁取り、そしてシックな色調の大理石の床と壁、というように、とても落ち着いた雰囲気の開放的な空間である。空港までの不規則なバスの揺れから解き放たれて、ようやく気持が体の中のあるべき場所に納まっていくような、そんな安堵感に包まれた。
40キロは優に超えている恐ろしく重いスーツケース、そしていくつかの手荷物。それらを両手で引きずり、足で蹴りながら、関西空港行きゲートを探した。出国カウンターはどこだったろうか。エスカレータに乗り2階のフロアに上がる。少しずつ視界が広がって行く途中、広いカウンターがたくさん並んでいる様子が見えてきた。
ああ、ここだな、と思ってそこを目指して行くと、たくさんの日本人団体観光客が、ひとつのカウンターの前に集中して列を作っていることに気づいた。どれくらい待つことになるのだろうか、とうんざりする気持が胸の中にひろがり始めたのと同時に、そのカウンターとは対照的に、がらーんとした開店休業状態のカウンターがすぐ横にあるのを見つけた。
あくびをしながら、退屈そうに遠くを眺めているイタリア人女性がそこに座っている。やった!これはいけるかもしれない、と瞬間的に自分の幸運を確信した。イタリアで生活する前の僕なら、列の一番最後に並び、順番が来るまでひたすらじっと我慢をしていたところだが、もう、イタリア人とのコミュニケーションに、躊躇はなくなっていた。
あきらかにオーバーウェイトの荷物をすんなりと、超過料金なしにチェックインさせようと、イタリア人である彼女の対応に運を委ねることにした。イタリア人らしくアバウトに対応してくれ!そう心の中で叫んでいた。
数時間後。シベリア上空。関西航空に向かう飛行機の外は、どこまでも無限に続くように思える真っ白な世界。その白い闇の向こう側から、いい加減うんざり来ていたミラノでの生活の感触が浮かびあがってくる。手元にはついさっき、事務的かつ冷徹に手渡されたバゲッジの超過料金表。ふぅー、とため息が出る。ああ、これでイタリアでの生活も終わったんだと、そのとき初めて自分自身を納得させることができた。イタリアでの生活は、ほんとうに終わったんだ。 |
イタリアで暮らしてみよう
2000年3月。30歳になった日、僕はイタリアで生活することを決断した。決断には何の迷いも躊躇もなかった。ちょうどその頃、プライベートで起こったことが原因で、ひどく落ち込み、苦しみ、疲れていた。全く新しい環境に身を置き、出来ることなら人生をリセットしてみたいと思っていた。
イタリアへの興味は、自動車、ファッション、サッカー、デザイン、陽気な国民性……、といろいろあったけれど、それらはふつう一般的に多くの人たちが持っている印象とさして相違するものではなかった。宝箱みたいに魅力的なものがたくさん詰まっている、そんな世界を想像した。
イタリアが好きだった。それは20歳の時に購入したAlfa Romeo Spiderが直接のきっかけであり、そこからイタリアに生まれた自動車の世界がひろがった。そしてそれと同時に、イタリアという国そのものへの関心も深まっていった。ひとつのことに興味を持つと、とことんそれを追い求める自分の性格が災いしたのか、気がついたら僕はイタリア車専門のメカニックになっていた。
仕事の合間を縫って、2度イタリアを旅行した。レンタカーを借り、ローマからミラノまで各都市を巡り、その土地のワインを飲む。覚えたてのつたない言葉で、いろいろな人と話をした。2度のイタリア旅行は、僕のその国への憧れを加速度的に深めることになった。
旅から帰ってきた後の数週間は、不思議な気持になっていた。イタリアの街中を、めいっぱいの速度で走りまわる薄汚れたアルファロメオやフィアット。旅先で知り合った陽気で親切な人たち、
そんな情景を思い出すたび、何かを置き忘れてきたような、どうしようもなく切ない気持になった。ああ、あの国で暮らしてみたい。ぼんやりとした想いが、明確な輪郭を持つのにそう時間はかからなかった。
忘れ物は何なのか、忘れ物を探しに行こう。イタリアでの生活が目の前にやって来ていた。 |
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