カルボナーラなんてお手のもの
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今もまだあのキッチンの片隅にあるのだろうか。メイドインジャパンの電気製品テクノロジー信者、同居人のイタリア人ディエゴが驚嘆の声をあげたあの小さな炊飯器。遥か彼方、日本から届いたそれは、3度の引越を共にして、ミラノ滞在中休みなく白米を炊き上げてくれた。それがコシヒカリであろうと、リゾット用のローマ米であろうと。きっと今も次の出番を待っているに違いない――。
キッチンにはまめに立った。たとえば、カルボナーラを作る。これだけは必ず守れ、とディエゴが教えてくれたように、おろし金で塊のチーズを削る。なるほど、あらかじめ粉になっているものとは香りが違う。あとは炒めておいたパンチェッタと生卵をボールの中で混ぜ、茹で上がったスパゲティに絡める。これだけ。でも、これでいい。そうして、もう一品。生野菜にワインと間違えて購入したAceto
Rosso(酢)を垂らせば、新鮮なサラダの出来上がり。完成だ。高級レストランで出てくるものと比べても遜色はないと思う。
青い箱のBarillaのNo3、 1.2mmのスパゲッティーニ。パンチェッタはフミカータ(燻製された豚の塩漬)で塩分が強くないドルチェ。この組み合わせだけは絶対に譲れない。毎日作りつづけて拘りの逸品(?)に仕上がったのだ。やはり、食材が新鮮でイタリア特有のものだから、簡単な調理で本物のカルボナーラが出来上がる。
それがうれしくて、どんどん自炊にチャレンジした。語学学校で、プライベートレッスンの授業の内容を、“簡単なイタリア料理を作る方法”にしてもらい、ひたすら調理法を教わった。パスタ料理のバリエーション、リゾット、肉料理までも。
食材を手に入れる場所はスーパーマーケット。授業で作成したノートを片手に、店内をくまなく物色する。日本では高級とされるイタリア食材が、それほど高価ではなく豊富にそろっている。ワインだって高くない。DOCG(品質の格付け)ラベルのついたキャンティクラシコも10,000リラ(約600円)と、気負わずに購入できる。
あらかじめスライスされた生ハムや切り分けられた肉類は牛乳パックの横に並んでいるけれど、店内に必ず存在する独立した肉専門店(macelleria)で買うのがイタリア式。棚にはびっしりとハムやサラミ、ガラスケースには鶏肉や牛肉、そしてそのほかにも見たこともない食材が並んでいる。整理券を手に取り、順番が回ってきたところで注文の品と量を告げる。誰ひとりとして一度に全部注文しない。店員が切り分け、パックが終わって、「追加注文は?」と声をかけられるまで、じっと待っている。これもイタリア式、なのかもしれない。
外食が多いと思われがちなイタリア人も、特別な日でなければレストランには出かけない。食材をスーパーマーケットで買い求め、家で調理する。あたりまえだけど、これが彼らのあたりまえの日常である。
焼きサバ定食との遭遇
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なぜだか無性に食べたくなった。レストランのキッチンから漂ってくるあの懐かしい匂いに誘われて、メニューの文字にグッと吸い寄せられる。焼きサバ定食。20,000リラ(約1200円)。日本でも好んで食べていたわけではない。どちらかというと苦手なはずだった。なのに、注文した。
あまり気乗りしなかったけど、どうしてもってエリーザとルカが誘うから、仕方なく訪れた日本食レストラン。ここは、食材を日本から直接空輸して調達するような高級レストランではないけれど、イタリア人である彼らの間では、日本食を食べることが一種のファッションであり、ステータスなのだ。それに日本人である僕に食べ方の手ほどきを受けることができて、二人とも上機嫌だった。
意外にも上手に箸を使ってソバを食べるエリーザと、イタリア人がもっとも苦手とする刺身を「美味い」といって口に入れるルカを見ながら、焼きサバ定食を食べた。最初にイメージしていたよりもかなり小さな、10センチ程度のサバの切り身だったけれど、食べ終わった後、いつもと違う満足感を感じた。いや、満足感とはちょっと違うかもしれない。ミラノに来て初めて感じる安堵感、と言った方が正確かもしれない。
それまでの食生活といえば、朝食はバールでカプチーノとクロワッサン、昼は語学学校の友人と連れ立ってハンバーガー屋やピッツェリア、そして夜はスーパーで買った食材とワインで自己流のイタリア料理、というパターンだった。慣れない自炊も日を追うごとに様になってきたし、まあ、留学期間の食生活なんてこんなものだろうな、と思っていた。そこに突如、焼きサバ定食が登場したのだった。
日本で留学の準備をしていた頃、数年間アメリカで生活していた職場の先輩から、海外生活においてのいくつかのアドバイスを受けたことがあった。その話の中には、米の炊き方や日本の食材をどうやって手に入れたか、なんてことがあった。自分には不可解な話だった。
アメリカにもうまくて安い食べ物があるだろうに、なぜ米の炊き方なのか。きっと彼は白米と漬物がなければ生きていけないのだろう。アメリカでの食生活で、それがいちばん苦しかったに違いない。僕はイタリア料理が大好きだし、毎食スパゲティでも大丈夫。だから、日本食の話なんかじゃなくて、もっと楽しい、アメリカを感じさせるダイナミックな話が聞きたい。もっと実際的な生活のノウハウを教えてほしい。先輩の話は僕が望むものといつも少しだけズレていた。
無理するなよ
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日本食を恋しがるなんて、自分には関係のないことだったのだ。絶対にそんな風にならない、そう固く信じていた。それが気づいてみると、たった3ヶ月で禁断症状が表れ始めていたのだった。
せがまれて行ったあの日本食レストラン。あそこで甦った日本の味が忘れられなくて、そうこうするうちに週に何度か通うようになってしまった。イタリアの生活水準からすれば簡単に支払えるわけではない金額を、惜しげもなく日本食に向けていた。ここは食の豊富なイタリア、ましてミラノでは、イタリア料理のみならず世界各国の味に出会えることができる。なのに――。
そんなはずはない。いや、でも、もしかしたら日本食が恋しいのか。これじゃあ、海外旅行にまで醤油を持参し、日本食を食べたがる、そんなもっとも僕が否定したがっていた観光旅行者のようじゃないか。そう思いながらも、とうとうあの生活必需品、炊飯器を、日本にいる家族へオーダーしていた。
しばらくして、語学学校のレセプションに日本から荷物が届いていた。いつも不在のアパートが受け取りの住所だと、配達員がまた持って帰ってもう一度日本に荷物を送り返されたことがあった。絶対に受け取りたい荷物だから、用心のため学校に届くようにした。
何度か開封された後のあるくたびれたダンボール箱に、ナイロンの紐を括りつけて持って帰った。今日ばかりは昼食の誘いを断り、一目散にアパートを目指した。部屋に到着するなり、もどかしい思いで箱を開けた。
頼んでおいたインスタント味噌汁に梅干、お茶漬けの素、フリカケ、それから日本米。そして、何よりもお目当ての小型電気炊飯器。もちろん電熱器用の変圧器も入っている。電熱器用、これが大事。インターネットで何度も確認をして、家族に型番もちゃんと指定しておいた。
米を軽く洗い、しばらく放置する。説明書に書いてあるとおりの分量の水をいれ、電源を入れる。これほど待ち遠しかったことはない。炊き上がるまでずっと炊飯器から噴き出る蒸気を眺めていた。
やっと出来上がった白いご飯にフリカケをかける。うまい! 焼サバ定食を食べたときと同じ、至福の時間が流れた。
どうしようもなく日本人である自分を感じた。外国にいると日本という国がくっきりと見えるようになる、とよく耳にしたけれど、それと同じように自分が徹頭徹尾日本人であることを、この小型炊飯器を前にして教えられたような気がした。無理をするなよ、ということだったのかもしれない。アメリカで生活した先輩は、アメリカ人になろうと気負うことより、アメリカ人にはなれない自分を認めて生活することのほうが大事だったと、きっとそんなことを言いたかったのだろう。
イタリアに生きようとすることは、イタリア人になろうとすることではない。日本や日本人である自分を強烈に意識することから、日本にいては見えなかったものをこの手の内に引き寄せること、そういう側面だってきっとあるのだ。柔らかい午後の時間の流れのなかで、一仕事終えた炊飯器を眺めながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。