今回も5冊の文庫本を持ってきた。その中の一冊に朝日文庫の『昭和の東京 あのころの街と風俗』というのがある。戦前、戦中、そして戦後の何年間かを元警視庁のカメラマンが撮った写真を中心にして綴ったものだ。戦前、戦中はともかくとしても、もう人生の折り返し点を過ぎた自分には、戦後の何年間かを撮った写真が妙に懐かしい。 自分が直接目にしたり経験したりしたものでなくても、時代のつながりとして、遠い記憶の中にある自分の子供の頃と重なるものがいくつかある。京橋の青果市場、浅草の人混み、縁側に並んだ粗末な服を着た子供たち。ああ、そうだったな、こんなだった、こんな子供がたくさんいた。 すべてのものは通り過ぎ、過ぎ去ったものはすべて美しく転化されてゆくけれど、僕にも確かに、貧しいといえばあまりにも貧しく、無邪気と言えばあまりにも無邪気だったそんな時代への、言葉を換えれば、闇雲に這い上がろうとしていた日本のある時代への、抜き去りがたい懐かしさや共感がある。 それをノスタルジーと言ってしまえば、確かにそうだ。いまさら何も生みはしない。でも、薄汚れたランニングシャツ1枚で、倦むことなくセミを追えた夏の日が、今でも僕自身にとっては、いつまでもとっておきたい夏だ。教材費や給食費の納入袋を差し出すときに、なぜだか母親の顔を見たくなかった小学校の頃の、あの生活というものが音を立てて自分の前にあった時代の空気が、ああ、あれがもしかしたら“学校”だったんだと、今、老いた母親と話したりするときに、ふと思ったりもする。 イタリア? それは長靴の国で、ピノキオの国で、少し大きくなった頃には、日独伊三国同盟の国で、ムッソリーニなんていう男がいた。たったそれだけ。アルファロメオもフェラーリ知らず、ましてや、自分が将来、人生の何分の一かをそこで過ごすことになろうとは想像すらしなかった国だ。 その国で今、僕はもうどこかにいってしまった日本を見ているような気がする。1000リラ札をポケットにねじこんだ窓拭きの少年は、かつてのあなたや僕に違いないのだ。 イタリアの、ある種、重層的に絡み合った暗黙の了解の内にある階級制度は、ときにやりきれないほどに息苦しくもあるけれど、でもその隙間に目をこらせば、たとえば、アルファロメオという甘美な名を持つクルマが、かつてイタリアの人々のどんな気持を背負っていたのか、そういうことにも想像力が及ぶ。大きな通りから1歩裏道に入っていけば、本屋には並んでいない一冊の書物が落ちているかもしれないのだ。 旅の素晴らしさはいつだって、旅程表の外側にある。そこにころがっていると思う。