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アンジェラさんの家で。いちばん右が、珍しくメガネをかけたアンジェリカ。いつだったか夕食によばれたとき。 |
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Madonna della Consolata教会のあるあたり、それがトリノの中で僕のいちばん好きな場所だ。教会の前にはビチェリンと呼ばれる、エスプレッソとチョコラータを混ぜた飲み物発祥の古いバールがあって、知人のロベルトさんから「このあたりは昔、トリノ随一治安が悪かった」と聞かされてもすぐには信じられないほどに、しっとりとした空気が流れている。
何もすることのない日曜日の午後、ひとりでConsolata教会のあたりを歩く。何に疲れたわけでもないのに、でも、疲れてる、なんてことを自分の問題として意識しはじめたのはここ2、3年のことで、それに加えて最近の体調の悪さがますます自分を深い淵に連れ込んでいく。祈ろう、と思ったのはそれだからなのか。それだから自分は祈ろうと思ったのか。ビチェリンを飲みながら、そんなことを考えて、でも教会のまわりをウロウロ歩きまわっているうちに優しく日が暮れる。
アンジェリカ、君はおぼえているだろうか。いつか君の家のそばの小さな教会にふたりで行った時に、無音の礼拝堂でひとり微動だにせず、じっと頭を垂れていた若い男のことを。僕はそのとき初めて「祈る姿」に触れて、生きる意味のほんのちいさなかけらが、その姿の中に見え隠れしていることに気づいたよ。そして、月に一度くらいだけどここに来る、と言った君が、同じようにここで何を祈るのか、教会の闇のなかでぼんやりと考えていた。
最初の恋が終わったあと、アンジェリカは明らかに変わっていった。がむしゃらに仕事に専念しているようにみえたのは、もちろんそのことによって何かをふっきりたかったことの現れだったのかもしれないし、大学に通い始めたのも、それが彼女なりの新しい生活への決意表明のひとつだったのだろう。でも、そんなことはすべてあまりにもわかりやすくて、誰もが、そうなんだね、と頷けることで、だから、それはみんな嘘。心が壊れた、と冗談めかして、折にふれて何の脈略もなく笑ってそう言うときの、その言葉の中に新しいアンジェリカが生きていた。
そうして季節はゆっくりと巡っていった。そのなかでアンジェリカは兄夫婦の離婚に直面し、何か要らないものを放り投げるように大学に行くこともやめた。剥がれたマニキュアを何日もそのままにしていたり、前触れもなく突然不機嫌になったり、ああ、なんか荒れてるっていう空気をまとって僕の前に現れることが多くなった。彼女が勤める自動車のエンブレム工房の、その地下の作業場の僕のささやかなデスクのまわりにやってきては、いつまでもグズグズしているなんて、およそ彼女らしくない振る舞いを見せたのもこの頃のことだ。
小さな教会で、アンジェリカ、君は何を祈っていたのだろうか。 |