イタリア自動車雑貨店
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第42回  ●公園のところ




新店舗への移転作業中のパンダ。この新しい店の前でパンダの写真を16枚撮った。晴れ姿である。
 何年か前、ある雑誌が“イタリア”を特集したとき、取材を受けたことがあった。店のパンダの傍らに僕を立たせてシャッターをカシャッ、なんていうありがちな誌面構成の、その中で笑っている自分が今となっては妙に気恥ずかしい。しかも、その写真に添えられたキャプションには「ずっと乗ります」なんて書いてある。

いまさら、それもこんなところで言うのもなんだけど、僕にはそんなことを言った覚えがない。そもそもパンダにずっと乗ろうなんて考えてもいなかったから、そんなふうに言うはずはないのだ。もしかしたら、取材者に便宜をはかるつもりで、リップサービスのひとつとして口を滑らせたのかもしれないけど、まあ、基本的に僕は、1台のクルマとじっくり付き合うなんていうタイプではない。

新しいクルマが発表されれば、ああ、いいなぁ、と思うのは、新しモノ好きという性格によるところが大きいんだろうけど、いつもそんなときに、次こそは完璧なクルマに出会えるかもしれないという幻想のシモベになってしまう。完璧なクルマなんてありえない、ということを、長いクルマ遍歴の中でイヤというほど知らされたくせに、である。

幻想は日々大きくなり、そうしてカタログを鞄の中に常に入れて持ち歩くようになったら、これはもう決まりだ。つまり、買う、ということ。買わなきゃわからない、というのはクルマを購入するときにもっとも説得力を持つ言葉だから、最後はいつも自分にそう言っている。買っちゃえよ。買わなきゃわかんないぞ、と。それにしてもこの言葉、なんと男気に満ちたステキな響きを持っているんだろうか。

そんなふうに何年かに一度とっておきの蛮勇を発揮してクルマを買う。決してあり余るお金をヒラヒラさせて買うわけじゃないんだから、買った後の付き合い方も真剣にならざるをえない。だから、いろんなことがわかる。まあ、いろんなことと言ったってそんなたいそうなもんじゃないんだけど、結局は、ああ、これもまた完璧にはほど遠いなぁ、である。そしてまた幻想のシモベ、夢をみることになる。

とにかく、買うってことがいいんだろうな、クルマって。自分を今とはちょっと離れたところに連れてってくれそうな気もするし。まあ、これを堂々巡りと言ってしまったら、身も蓋もないけど、だから完璧なクルマなんてないほうがいい。

とにかく、かつて村上龍が『あの金で何が買えたか』の中で、バブル期の日本の並外れた浪費を批判したようなことを、自動車購入の際には決して思い起こしてはダメだ。クルマを買ってなければ、家が買えた、なんて、クルマが買えたんだからそれでいい。異議の出にくい理性に依拠するテーゼは人を幸せに導くようでいて、往々にして昼寝に誘う。寝てちゃ見えないことがたくさんあるのに。

どうせいつか死ぬんだ、というのはどうだろうか。死に向かって一直線の人生は、一度きりの祝祭である。だから、そのクルマとともに祝おう、なんちゃってね。それにしても、たかがクルマを買う、買わないが、生き死にの問題にまでなってるみたいで、なんだか、とっても大人気ないとは思うけど……。


☆☆

このワイパー、リア用をフロントに移植したもの。サイズが全然短くて、凄いスピードでフロントスクリーン上を動き回った。
  という僕にも、心の片隅にずっと生きているクルマもある。1台はイタリア車じゃなくて、フランス産のルノー・サンクGTターボ。色は青。1.4L(だったと思う)OHV、キャブのターボ仕様だった。

パキパキいう内装のプラスティック、なんだかひっかかるようなクラッチ、夏場の悪魔のパーコレーション、まるで生き物のように動き回る水温計と、レストランの品書きを読み上げるみたいに次から次にあれこれ悪口が出てくるクルマだったけど、とにかく僕はこのクルマが好きだった。他に言いようもないのが困るけど、ただ好きだった、のである。

でもそれは、壊れてばかりいる出来損ないのクルマを、自虐的に愛でるのとはちょっと違うな。そもそも僕は壊れるクルマはキライだ。なのにサンクは好きだった。このクルマとの間には、心が通うっていうんだろうか、なんかいつも「そこにいる気配」のようなものが流れていた。そうそう、気配だったと思う。気配っていう微妙な感じ、それが良かった。『NAVI』を辞めてあらゆることに方向音痴になっていた自分の、かけがえのない友人のような存在だった。

東京郊外、日野市役所前の銀杏の落ち葉いっぱいの道を、風のようにサンクで走り抜ければ、その頃の自分のどうにもならなさがほんの刹那忘れられるような、そんな瞬間がポツリとあった。好きだったなぁ、サンク。なぜだか忘れえぬ絵画のようなその秋の夕暮れとともにあるルノー・サンク。美しい思い出だ。

そしてもう1台のクルマ、じつはそれが例のフィアット・パンダである。それにしてもこのパンダ、自分が所有したクルマ史上、価格はともかくとしても、もっとも安物のクルマだった。つまり、上等なもの、上質なもの、とは対極の世界にあって、たとえば点かなくなったテールランプが叩けば点くという類の、人間が安物に対して本能的にとる行動に、極めて忠実に応えてくれるクルマだった。

それでも、イタリアのクルマはいい。爪の先を引っ掛けるほどのささやかな夢や希望が、その佇まいの中には確かにあった。なんかの気の迷いで、クルマなんてこれで十分だと、一瞬思い違いをさせるような妙な説得力も、ちゃんと備えていたりする。そのかわり、エアバッグは言うに及ばず、VOLVOなんかが自慢げに謳う安全装備や、今じゃ当たり前の衝撃吸収バンパーもABSも付いてこない。ハイテク・エレキの類は何もない。身体を張って運命を分かち合う、死なばもろとも、のクルマである。

そんなクルマを僕は8年間持っていた。持っていた、というのは、乗っていた、というのとビミョーにビミョーに違っていて、その微かな異なりの間に漂うものこそが、パンダへの僕の思いである。8年間もよく持っていたと思う。アルファロメオの、いわゆるロッソアルファとは違う赤だったけど、陽に焼けて退色すればどちらもまったく同じピンク色になる、という悪びれることのないイタリア車の真実も、8年間パンダを持っていて知ったことである。


☆☆☆

同じ日、パンダのそばを歩いていった女性、ではなく子供。ちっちゃいくせに、何か真剣に考えごとしてるような……。少年よ、「さよならだけが人生」だぜ。
  自動車が特別なのは、過去に乗っていたそれとともに、その時の自分を鮮やかに思い出させることにある。そこが時計やカメラなんかといちばん違うところだ。その時の自分がどうだったか、そのクルマを思えばくっきりと見えてくる。思い出のクルマは思い出の自分である。

  サンクGTターボは、マニア受けする初代ではなく、第2世代のシュペールサンクがベースとはいえ、ヨーロッパの匂いが極めて強いクルマだった。世界のマーケットがどうのこうのというのではない、なんというか唯我独尊のクルマ。それはそのまま自分の殻の中で自ら格闘して疲れきっていたその頃の自分の姿に重なる。

  パンダはなんだろう、やっぱり『イタリア自動車雑貨店』に追われ通しの自分だろうか。店の開店資金に化けたインテグターレの次にやってきて、90万円のローンを月々3万円弱、そうやって3年間払い続けてやっと自分のものになった。一点突破・全面展開を旨とする、そんな自分ではないみたいなそのコツコツやった感じは、背後に常に店の存在があったからだったのか。店の前を通りかかる近所のおばさんに、あんた大丈夫なの?なんて心配されるほど『イタリア自動車雑貨店』は危うげだった。

  1万キロに到達した場所がどこだったか、そんなどうでもいいようなことも覚えている。店が終わった帰り道で、東八道路が府中街道とぶつかる交差点のところ。パンダが1万キロ走ったことではなく、店と自宅を1万キロ往復したことに感慨があった。そんなことはほんとにどうでもいいようなことなのに、そういうことが往々にして人生の一大事なんかよりも心に残る。僕の場合、そんな取るに足らない出来事のあれこれが、『イタリア自動車雑貨店』を中心に置いた生活の中で繰り返されていた。そしてそれは日々僕自身を運び、常に店の横に鎮座していたパンダの上に積もっていってたのかもしれない。

  そうしてパンダは8年間という時間を後ろに追いやって、新しく移転した四谷の店の開店の日、つまり2003年7月1日に僕らのもとから去っていった。置いとけなかった理由はいくつも挙げることができる。でも、そのどれもがつまらない、みみっちい理由で、きっと僕は今だって、訊かれればそんな嘘をボソボソと口にすることだろう。

  新しい店の開店の当日まで、旧店舗との間の貨客運搬車両として獅子奮迅の働きを見せたパンダは、開店を数日後に控えた雨の中、それまでかろうじてくっついていたフロントワイパーを吹き飛ばしてしまい、応急措置としてリアワイパーをフロントに移植されていた。ただでさえ貧弱なワイパーがもっと短くなって、目が回るようなインターバルでフロントウィンドウの上を左右に動いていた。

  滑稽だけどその姿がとてもカッコ良く、もう誰がなんと言おうと断然カッコ良く、そして健気に見えた。ああ、こんなクルマにはもう二度と出会えないなあ、といろんな想いがごちゃまぜになって胸の底から駆け上がってきた。

  開店の日、店内の喧騒から脱け出して、店の裏の公園のところで、次のオーナーに引き取られていくパンダを、ひとりで見送った。全身にいろんな思い出をベタベタ貼り付けられたパンダの小さなボディがキュッと左に曲がって見えなくなった。いいねぇ、その後ろ姿。じゃあな、パンダ。

  踵を返して店に向かう。ふっと肩が軽くなって、ああ、これで新しい扉が開けられる、と思う。前に進むことは決して夢と現実を交換することではないよな。そうなんだけど、いや、そうだからこそ、僕もまた変わらねばならなかった。




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