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ジュゼッペさんの家。ダイニングルームから玄関を見る。掃除が行き届いている。正面の階段から続く2階、3階にもそれぞれ3部屋ずつある。 |
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3月第1週の金曜日の夜、取引先のジュゼッペさんの家に招待された。ジュゼッペさんとは1995年、僕がイタリアに通い始めて間もない頃からの付き合いである。資金がない、という単純な理由で、今からみると、当時は普通の買い物程度にしか商品を買うことが出来なかった。しかも、英語がまったくダメなジュゼッペさんとイタリア語がまったくダメな僕とは、身振り手振りで意志を通わせるしかなく、それがお互いの関係にとってのささやかな、でも大きな壁にほかならなかった。数年間はそんな時間が続いていた。
奥さんのグラッツィアさんと営む小さな自動車部品店。最近、ドメニコという日本車狂いの青年が店を手伝うようになった。ヘッドライトのバルブが切れた、エアクリーナーを換えてほしい、ワイパーもついでに頼むよ、なんていう近所の人の声に応えて、もう30年もやっている。気負うことのない商売の仕方である。難しい顔をして対前年の売上比を云々したりはしない。雨が降れば止むのを待とう。きっと明日は晴れるさ。
ジュゼッペさんの家は、トリノ郊外のモンカリエッリからさらにクルマで10分近く行った、まだ周囲には畑が残るとても静かな場所にある。日本で言えばテラスハウスのような共同住宅で、でも各戸3階建ての立派な造りの外観は、白壁とそれを縁取る大きな窓がいちばんに印象に残る。その窓の前にクルマを停めると、小さくカーテンが開いて、15歳になる息子のマリオの顔が覗いた。
7段の階段を上がって玄関の前に立つ。こちら側に大きく開かれた扉の向こうに、きれいにお化粧をしたグラッツィアさんとマリオ、そしてジュゼッペさんがニコニコ笑いながら立っていた。イタリアの家にしては明るい照明、そして白い壁、深いえび茶色の床。キョロキョロ見回す僕に、感想は?と奥さんのグラッツィアさんが訊く。玄関を入って正面に広いキッチンへの入り口、左側にダイニングルーム、そしてそれに接して8畳ほどのリビングルームがある。決して広いという空間ではないけど、なんとなく僕はその場の空気にスゥーっと溶け込んでいけるような居心地の良さを感じた。
いいなあ。僕はこういう家、大好きです。ようやく意思疎通に足りるほどに拙い僕のイタリア語に、グラッツィアさんがピアーチェ? ピアーチェ?(気に入った?)と応える。ほんとうにいい家だった。そこは僕の知っているイタリア人の家のどことも違っていた。1ユーロの無駄も惜しむような慎ましさに満ちたアンジェリカの兄、アンドレアの家。成功した中産階級が手に入れる安定の、その象徴のようにどっしりとしたロベルトさんの家。生活感のまったくない、まるでモデルルームのように清潔で空虚なフランチェスカの家。そのどこの家にもないものがここにはあった。
それは大学卒業後ラテン語の教師になり、そこから転じて好きだった自動車に囲まれる生活を選択したジュゼッペさんの人生が運んできた、透明な善意の存在によるもののように僕には思えた。大志や野望を抱いた企業家でもなく、わが身の不遇を嘆くのに忙しい勤め人でもなかった。だから30年も人々の暮らしのそばでやってこられた。クルマは壊れるもの、部品は消耗するもの、ならばそこにクルマが好きな自分の役割を置こう。
グラッツィアさんが毎日出会うチーズに辟易とした僕のリクエストに応えて、スパゲティ・ペペロンチーノを作ってくれた。家でこれを食べるのは初めてよ、という彼女の横で、来年から料理学校に入ってシェフを目指す息子のマリオがあれこれ批評の言葉を投げる。彼には予約して長い間待っていた『グランツーリスモ4』が明日とうとうやって来る。
いろんなことを訊かれ、そのひとつひとつに普通のイタリア人の1.5倍以上の時間をかけ、知っている語彙を総動員して答える。そんな中で、イタリアで何がいちばんタイヘンか、という問いに、長い滞在でのホテル代の高さを言った。1ヶ月もいるとバカにならない金額です。それだったら結婚した娘が使っていた3階の部屋を使えばいい、と即座に夫婦二人が言った。トリノの中心からもそんなに遠くないし、ガレージだって空いてるから。
嬉しい申し出だったけど、僕は日本人らしく曖昧に笑っていた。こんな時には笑っているだけでいい。そうそう、マリオ、『グランツーリスモ5』が出た時には、日本で買ってきてやるよ。ずっと早く手に入るから。マリオは満面の笑みをこちらに向けて、それから子供らしい表情で両親の方をちらっと伺った。
いい家だなあ、と思う。ユーロの荒波に揉まれるイタリアで久しぶりに出会った柔らかな光景が、きっと明日は晴れるんだという予感を、僕にも運んできそうな夜だった。 |