翌朝、すぐにカラビニエッリに盗難の被害届を出しに行った。待合室で1時間も待たされる。あまりにも待ち時間が長いので、待合室から出て廊下をウロウロしていたら、制服の前ボタンがはち切れそうに太った係員から、部屋に入っていろと注意を受ける。まだですか?と訊いたら、non
lo so (わからない)だって。なんだよ、わからない、って。
ようやく順番が来て、パソコンの端末が1台置いてある部屋に通される。型どおりに事情を聞かれ、昨日から何度も言ってることをここでもまた繰り返した。驚いたことに、少なくともトリノのカラビニエッリには被害届のような書式は存在しない。つまり、どういうことかというと、カラビニエッリの用箋に、こちらが答えたことを「文章」にして係員が入力していくのである。被害品、というような欄があって、そこに該当品を記入していくのではなくて、7月5日、ボローニヤ/ミラノ線、Ardaのアウトグリルでクルマの鍵を開けられ、○○と○○……を盗難にあった。という調子で作文のような被害届を作成するのだ。そしてプリントアウトされた書類に係員と僕がサイン。それで終わりである。
まったく期待できないということだけはよくわかった。まあ、この用紙の控を持っていれば、免許証を盗難にあったという証明にはなるので、堂々と運転できるという効用がある。それが唯一の救いだった。そして、そのあとにミラノの日本領事館に電話をして事情を話し、パスポートに代わる渡航証明書の発行について問い合わせる。慇懃無礼、かつ感じの悪いことこの上ない日本人の領事館員が、棒読みのようにして手続きに必要なものを告げる。写真2枚、航空機のチケット、持っているならパスポートのコピー、これを持って出発の3,4日前に領事館に来なさい、という。
それから銀行。盗られた小切手を無効にする手続きをした。支店長が出てきて、サービスエリアではよくあることだと話し始めた。なんでも、彼らは3〜4人のグループだという。サービスエリアに入ってくる、特に荷物をたくさん積んでそうなクルマを狙う。ひとりはクルマを降りた「獲物」の後について行動を監視する。今回の場合、「獲物」である僕はその時エスプレッソを飲んでいた。そして最低二人がクルマに取り付き、鍵を開ける者と、それを隠すようにして傍らに立つ者とに役割分担する。「獲物」の監視役とクルマの傍らに立つ者は携帯電話で連絡を取り合っているらしい。
でも、5分ほどしかクルマを離れていなかった、という僕に、2分もあれば、奴らは鍵なんて開けてしまうさ、と支店長は言った。これで生きているプロなんだよ。そう言って、顔の半分くらいを覆っているメガネを意味もなく外し、そして掛け直した。5,000ユーロは大金だね。
ああ、これで届け出も手続きも領事館以外は全部終わった。問題は何ひとつ解決していないのに、少しだけ肩の荷がおりたような気になる。銀行を出て、アンセルモ通りからマダマ・クリスティーナ通りに向かう。途中、グリーンのベストがユニフォームのクラシックなバールに寄ってエスプレッソを飲んで、正午前のうだるような暑さの中をロベルトさんに会いに行った。
今日は少しは元気か? と昨日とはうって変わってロベルトさんは穏やかだった。ふつうです、と僕は答えた。なぜだか銀行の支店長の言葉が不意に甦ってきて、それにしても、5,000ユーロはやっぱり大金です、と僕は言った。
ロベルトさんはデスクの前から立ち上がると、部屋の入り口で立っている僕のほうにやって来た。そして、確かに不注意だったな、と言った。でも、その5,000ユーロがないことで君の人生は変わるのか、と僕の肩に手を置いた。その言葉がどんな慰めにもまして心に残る。今はもうポンコツのY10で休みなく走り続けるなんて到底できなくなってしまった男に、ささやかな救いをさしのべてくれる言葉だった。激情家のロベルトさんは、やっぱりその時も星一徹のようだった。
(注)文中にあるようにデジカメを盗られてしまい写真が撮れませんでした。添付の写真は本文とはまったく関係ありません。 |